富岡 鐵齋 Tessai TOMIOKA 1837~1924
天保7年(1837)12月19日京都生まれ。通称は猷輔(猷介・猷助)のち道節、百練・鐵史・鐵崖などの落款を用いる。15歳頃から国学・漢学を学び、18歳頃から南北合派の窪田雪鷹に、南画を小田海僊、大和絵を浮田一蕙に学ぶ。また大田垣蓮月尼のもとに同居し、多大な人格的影響を受ける。文久元年長崎にて明清画を実見、翌年私塾を開設。勤王学者としても国事に奔走、維新後は立命館教員、大和岩上神宮少宮司などをつとめる。のち職を離れ、明清画や大和絵の模写に励み、文人画の近代的蘇生への道を歩みつづける。京都青年絵画研究会展品評員、京都美術協会委員。京都市美術学校(市立美術工芸学校)修身科嘱託教授。明治30年「日本南画協会」結成に評議員として参加、定期展に出品を重ねる。大正6年帝室技芸員、大正8年帝国美術院会員。大正13年(1924)12月31日京都市で歿、88歳。
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